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丹後出身の弦楽器製作者

田中博

世界に愛された

タナカヴァイオリン

  生い立ち

 

Ⅰ 峰山時代(1920~38,1945~51

 

・1920年9月7日

京都府中郡峰山町字上壱番地に父、重太郎、母、ふ美の長男として生まれる。播州出身の父は建設業を営み、主に公共事業を請け負う。(峰山小学校、峰山高等学校、震災記念館、比治山トンネル建設工事、宮津線敷設工事、淀競馬場など)

・1938年

京都府立工業高等学校を卒業。軍事色が強まる学生時代を送るがあらゆるスポーツを楽しむ一方で

絵画や詩歌を嗜む。3月、丸紅京都支店に入社。

・1939年

 10月退社。

 12月志願して陸軍騎兵部隊に入隊。

・1940年

 中国大陸へ出征。やがて負傷して除隊。

・1945年

 峰山町の実家で療養。

・1947年頃、神戸や京都から峰山町に疎開していた当時の三大名工と称された弦楽器製作者、峯沢

峯三、泰三両氏から楽器製作の手ほどきを受けてウクレレ、ギターやヴァイオリン製作を始める。

 

Ⅱ 京都時代(1952~55)

 

独立して京都、桂に自ら工房を建て、制作に打ち込む。以後3年間京都で修行する。この間京大の教授や日本画壇の人々と親交を結ぶ。

 

・1955年

3月3日、峯沢氏と共に、自作のヴァイオリンを持参し、来日中のダヴィツト・オイストラッフ氏と都ホテルにて面会。氏はタナカの制作したヴァイオリンを試奏して(日本の音楽水準の高さに驚いた。」との感想を述べる。                            

Ⅲ 東京時代(1956~90)

 

・1956年

日本画壇の菊池契月画伯の子息らの知遇を得て上京。赤坂台町の近衛音楽研究所で研鑽を積む。近衛秀麿氏の日本各地への演奏旅行に同行。氏の結成したABC交響楽団首席奏者のシュタホン・ハーゲン氏が

タナカのヴァイオリンで演奏する。同楽団ヴァイオリン奏者カルボーニ氏のもとで更に修行する。

・1958年

独立して青山に工房を構える。国内外のオーケストラ(N響、日フィル、都響、読響、米三大オーケストラ、ベルリンフィルハーモニー、パリ国立管弦楽団等)のメンバーや、ソロ活動をする演奏家の楽器の修理、調整や制作に携わり以来30年過ごす。

・1971年

株式会社タナカを設立。この頃NHK交響楽団顧問となる。

・1973年

長年の取引先の会社社長であり、アメリカで唯一、ドイツ・ギルド組合によってマエストロの承認を受けたウィリアム・メーニック氏に招聘されて、フィラデルフィアで開催された弦楽器製作者による国際会議に出席。東洋人として初めて正式なメンバーとなる。

・1975年

フィラデルフィアで開催された国際会議に出席。イタリア人の弦楽器製作者でタナカが初めてその楽器を日本に紹介したペレソン氏が来日。

・1978年

外出先の千葉で発症。以来12年間自宅で療養する。

・1979年

1月イスラエル出身のヴァイオリニスト、ロニー・ロゴフ氏の提唱に賛同したオーケストラのメンバーによる『ヴァイオリン製作者田中博氏の回復を願うチャリティー・コンサート』が新宿厚生年金会館大ホールで行なわれる。新聞各紙に取り上げられ、大盛会を収める。

↑【田中重として知られる】

↑【中学時代】

↑【高校時代】

↑【丸紅新社屋にて(右)】

青山に工房を構えたとき以来、公私両面でタナカが相談を受け、タナカを父や兄のように思慕の情を寄せる演奏家のたゆまない温かい励ましを受けて友人、知人そして家族の愛に包まれた穏やかな晩年を送る。

・1990年

1月8日、赤坂山王病院にて死去。10日麻布光林寺にて葬儀が執り行われる。3月、父重太郎の手がけた全性寺に埋葬される。

・1996年4月7日、東京赤坂にて7回忌の追悼コンサートがN響有志により行われる。これを契機に1996年6月と翌年7月に旧峰山町役場玄関ホールにて町主催による、N響メンバーによる弦楽四重奏コンサートが行われる。 

・2005年遺品の一部が浜松市楽器博物館に寄贈される。

・2006年 楽器を含む音楽資料の収蔵と活用を兼ねて音楽普及を目的とするNPO法人音楽のまちづくりが設立される。 注5 新聞記事参照

・2007年9月4日、京丹後市大宮町にて法人1周年記念コンサートが開催される。田中博の母校である峰山小学校の生徒を招いての音楽会も行なわれ、好評を博した。

・2009年 10月17日、法人事務局をタナカヴァイオリンミュージアムとして一般公開する

↑【チェリストのツヴァイ・ハレル氏と】

↑【近衛邸でウイスキーを手にする

  シューベルトの雪像と】

←【赤坂ニュージャ

  パンにあった楽器

  会社(白川総業) 

  の役員時代】

↑【ウィリアム・メーニック氏

         ヌッツェン氏】 

↑【チェリスト徳永健一郎氏】

↑【タナカが制作したチェロを

    絶賛するメーニック氏】

↑【タナカの工房で

 仕事をするペレソン氏】

←【1979年に行われたチャリティーコンサートの資料。

     出演者:ヴァイオリン 田中千香士、川上久雄、植木三郎、小島秀夫、

     高橋眞、板橋健、公門俊之、金田幸男、ロニー・ロゴフ(特別出演)

      ヴィオラ 大久保淑人、梯孝則  チェロ 徳永健一郎、田沢俊一           コントラバス 小野崎充 プログラム制作 (株)白川総業協賛 ステーキハウス ケインズ、うどんすき 堂島、青山 割烹・すし  つかさ田中さんと共に歩む 楽器保険専門代理店 TKA CO.,LTD

 

田中博の回復を願うチャリティーコンサート・7回忌追悼コンサート・没後20周年コンサートに寄せられた言葉や記事

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〒627‐0041

京都府京丹後市峰山町菅573‐1

 

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